はじめまして。静岡のOBUと申します。
私の略歴を書きます。
私は1965年12月31日に大阪で生まれました。
18歳まで、兵庫県西宮市に住んでおりました。甲子園球場のそばです。大学は静岡で、社会人になってからは東京、千葉、横浜と転々とし、ここ数年は静岡に落ち着きました。家族構成は妻一人、男の子が二人です。
卓球は中学1年生(13歳)より始め、高校、大学、社会人とずっと続けています。一時的に中断する時期はあったものの、かれこれ25年以上卓球を続けていることになります。現在も現役選手として試合に出ています。
試合に出る一方で、卓球連盟の役員として試合進行のお手伝い、また中学生や高校生の指導をしたりしています。指導の資格はまだ取得していません。私の中での卓球の比率は、選手75%、連盟役員10%、指導5%ですが、将来的には選手としての比率は下がり、その他の比率が増えて行く事でしょう。
シェークハンドグリップで、戦型(卓球には「戦型=プレースタイル」があるのです)は、カットマン(守備型)です。
卓球を始めた頃からずっと変わりません。ラバーは色々試しましたが、現在、両面裏ソフトです。
#初心者の方は、何のことだか分からないかも知れませんね。卓球用語は別の機会でご紹介して行きますね。
競技生活は結構長いのですが、私は一流選手ではありません。趣味が高じて長く続いているだけです。
ずっと一人の市民選手として試合に参加して行きたいです。(またそれが可能なことも卓球の長所の一つですね!)
人に自慢できる成績と言えば、学生時代東海リーグで敢闘賞を取ったことと、社会人になってから東海選手権30歳の部でベスト8に入ったことです。
#いや〜本当に運が良かったですね(笑)。長く続けていると、たまにはいい事だってありますよね。
体力的にはとっくにピークを過ぎていますが、少しずつではありますが、未だに技術が上達しています。卓球って本当に奥の深いスポーツだと思います。仕事をしながら趣味で練習を続けているのですが、同じ卓球仲間から「最近、上手くなった」と褒められたり、試合で実力が上の選手に勝てたりすると、お調子者の私は、もう有頂天で、
「やめられまへんな〜」(なぜか、関西弁(笑))
と、一人でニヤついています。
・・・・・
もう少し、卓球の経歴に関して詳しくお話します。
個人的な話で、少し長いのですが、私のキャラクタがよく出ているので是非お読み下さい。
無理にとは言いませんが・・(笑)。
中学生から卓球を始めましたが、そもそも卓球を始めたきっかけは「卓球部が楽そうだったから」です。実際は学校で1,2を争う厳しい部活でした。とんでも無い見込み違いでしたね(笑)。30名入部したのですが、引退するときは8名でした。今でもどうしてこんな私が3年間続いたのか不思議なくらいです。
厳しい部活の割には全然強くない学校でした。選手(生徒)の立場からすれば最悪でしたね(笑)。私はレギュラーにもなれず、ひたすらトレーニングと台出し、後輩の指導に明け暮れる日々でした。練習環境も悪く、体育館の2階(床はコンクリート)か、放課後の教室、渡り廊下のいずれかでした。渡り廊下なんて風が吹いて、まともな練習なんか出来たものではありませんでしたね。
そして私はとうとう両膝を痛めてしまいました。膝の軟骨が飛び出てくるオスグット病というもので、成長期に激しい運動をすると、この病気になるそうです。当時は固いコンクリートの上での練習やトレーニング、膝に負担をかけるうさぎ跳びとかも平気でやっていました(やらされていました)ので、この病気になったのだと思います。中学生くらいの選手を指導する立場の方は、気をつけて欲しいと思います。今でも私の両膝は骨が出ています。
ですから膝が痛くて痛くて「走る」「跳ぶ」が出来ませんでした。中学2年の走り幅跳びの記録は1m50cmでした。小学校低学年並みの記録です。助走はなんとか出来るのですが、膝が痛くて踏み切ることが出来なかったのです。外科の先生の話しでは「成長とともに痛みは引く」ということだったので、「早く思い切り走れるようになりたい」と思っていました。
(私の場合、中学3年生くらいから膝の痛みが引き始め、高校入学する頃には完全に痛みは引きました。同病の方への参考までに。)
高校生になって卓球は続けるつもりはありませんでした。小学生の頃から水泳が得意だったので、水泳部に入ろうと考えていました。ところが入った高校は新設校で、なんとプールが無かったのです(笑)。当然水泳部なんてありませんでした。中学時代の憧れのY先輩の強い勧めもあって、結局卓球部に入りました。
Y先輩は私の1学年上で別の中学だったのですが、中学時代から憧れの先輩で、私と同じ、カットマンという戦型でした。小柄なのですがフットワークが良く、ストップされたボールを飛び込んで打つバックハンドスマッシュは、とても華麗に見えました。もちろん、真似をしました。うまく出来なくて腹を台にぶつけてばかりいましたが(笑)。
厳しくて面倒見の良いY先輩が引退してからは卓球部は壊滅状態でした。私がキャプテンを引き継いだのですが、部員は私を含めて4名で団体戦も組めない状態でした。試合のたびに、中学時代に卓球部だった人を探して試合に出てくるようにお願いしていました。
練習場といえば、渡り廊下や踊り場で、人が通る関係で、卓球台は置けても3台くらいでした。部室はなく、柔道場がある体育館の1階の廊下の奥に、ロッカーを置かせてもらって、そこで着替えもしていました。時々、間違えて入ってきた女子生徒にキャーキャー言われましたが(笑)。顧問のK先生も「お前ら、適当に(練習を)やっとけや」という感じで、ほとんど顔を出しませんでした。本当に放任主義の、とても素敵な先生でした(爆)。
部員もやる気がなくて、私がランニングに出かけている間、部室(と言うか廊下の奥)で漫画を読んでいました。私が戻るとおもむろに「じゃ、そろそろやるか」という感じで、用具をもって練習場に向かいます。最初にすることは雑巾掛けでした。踊り場なので、人が出入りするし、風の吹き溜まりになっていて一日もするとホコリがうっすら積もっているのです。そのままではツルツル滑るので、仕方なくやっていました。掃除と台出しが終わると、筋力トレーニングと壁打ちです。最初は全員でやっていたのですが、間もなく私だけがやるようになりました。
それが終わって初めて台についてボールを打つ練習です。練習のやり方など分からなくて、フォア打ち、カット打ち、ツッツキ、そしてたまにゲーム練習だけでした。私自身「強くなりたい」と思っていましたが、気持ちばかりが空回りしている様な状態でした。
今から思うと、本当に片田舎の弱小卓球部でした。
#青春してましたねー(笑)。思い出すと恥ずかしいですね。(^^;
高校時代の私には、「人との出会い」がありました。
この二人に会わなければ、私の卓球人生はもう少し違ったものになっていたはずです。
一人は高校一年のときの担任のS先生でした。バレーボール部の顧問なのに、なぜか卓球部の練習に顔を出してちょっかいを出していく、変な先生でした。今から思うと、どうも息抜きにちょっとピンポンがやりたかっただけみたいです(笑)。
「お、最近、頑張っとるやないか。」
「試合があるから、それに向けて練習しとるんです。」
「ほー。ま、頑張れや。」
練習場が踊り場なので、その先生もよく通ります。数日後、
「毎日熱心にやりよるなー。試合はいつや?」
「一ヶ月後です。」
「まだ、先やんけ。よう、やるなー。で、どこまで行くんや?」
「西宮の市民体育館です。」
「アホ。会場の場所、聞いとるんやないわ。目標や。」
「最低でも、ベスト8に入ろうと思うてます。」
「お前、そんな強うないやろ。本気か?」
「本気です。こんなに一生懸命練習したんやから、行けると思うんです。」
当時は純真無垢でした(笑)から、練習さえちゃんとやれば試合で勝てると思っていました。実際、Y先輩に教えてもらい、中学時代よりかは技術は上達していたのです。
そして、試合当日を迎えます。私にとっては高校生活で初めての記念すべき試合です。
西宮市内卓球大会(高校生の部)。ガチガチに緊張して、一回戦で敗退しました。
今でもよく覚えています。左シェークドライブ型の石井選手(仮名)です。左きき特有のカーブするボールが一球も取れませんでした。落ち込みました。自分なりにその試合に賭けていましたので、かなりショックでした。
新学期を迎え数日経ったある日、S先生が声を掛けてきました。
「そう言えば、試合はどうやってん?」
「それが・・・。一回戦で負けてしもうたんです。」
「一回戦って・・。お前、本気で練習していたんとちゃうのか?」
「は、はい・・・。」
「情けないなー。お前の本気は、そんなもんなんか?」
「えっ・・・。」
「お前の本気は、その程度のもんなんか?って聞いてるねん」
記憶はそこで終わっています。その後の会話は覚えていません。試合で負けた当日より、S先生の一言の方がショックでした。別にS先生が熱血教師というワケではなく、決して私を煽ろうとしていたワケでもなく、普通の立ち話的な会話だったと思います。
でも、とにかく、
「悔しかった。
情けなかった。
思い上がっていた自分が恥ずかしかった。」
のです。
負けず嫌いだったので、数日後には「やってやろうやないか。市内大会一回戦負けの男がどこまで行けるもンか。今に見とれよ〜。」と、気持ちを切り替えていました。それからの私は今まで以上にトレーニングと練習に励むようになっていったのです。
あの時にS先生の一言がなかったら、あそこまで固い決心はしなかっただろうし、今の自分もなかったはずです。
用具を変えて気分一新しようと、西宮北口にあるスポーツ用品店にラバーを買いに行きました。
分厚いラバーに貼り変えてもらって、帰ろうとしていたときです。店主のおじさんが、
「あんた、(卓球の)戦型は何や?」
「カットマンです。」
「カットマンやて?あかん、あかん。こんな分厚いラバー使っとったら、弾みすぎてカットが出来ん。
こっちのラバーにしとき。」
随分とお節介なおじさんやなーと、とまどっていると、
「あんた、本当に強うなりたいんか?」
「えぇ、まあ・・・」
「本当に本気で強うなりたいと思っているんか?」
「・・・そ、そうですね。」
「はっきりせい。強うなりたいと心の底から本当に思っているのか?」
「・・・はい!」
「そうか、分かった。ほんなら、オレの言う通りにせい。オレの言う通りにしたら、あんたでも絶対に強うなる!」
「ホンマですか?」
このお節介なスポーツ用品店のおじさんが、高校時代の出会いの二人目の人です。そして私の最初のお師匠さんでもあります。大正生まれで戦争を経験し、剣道が専門ですがあらゆるスポーツをやってきたそうです。卓球は聞きかじり程度だそうですが、アドバイスは的確でした。卓球ばかりをやってきたのではなくて、色々なスポーツをやってきた経験からものを言うので、多くの真実が含まれていることが当時の私にも分かりました。
よく言われたのは、
「スポーツする身体を作ってから卓球をやらなあかん。卓球を小手先のスポーツやと思うたら大間違いや。
卓球の選手はひょろっとしたヤツが多い。だから少し上手くなったときに故障すんねん。」
「ピン球(ピンポン玉のこと)がスローモーに見える時があんねん。それがものごっつう(ものすごく)大事や。
スローモーに見えてみい。どんなボールでも捕れるでぇ。」
「試合の8割は精神力や。カッカしたり、シュンとしてたりすると、10ある実力が1や2になるねん。
相手がそういう状態のときに、自分が10出せば勝てるワケや。そやろ?」
「学生の本分は勉強や。勉強もせんと好きなことばっかりやっとるヤツはロクな大人にならん。」
などなど・・・。
すみません、ロクな大人じゃありません(笑)。
それからというもの、私はそのスポーツ用品店にしょっちゅう顔を出すようになり、色々なことを教わりました。
スポーツに共通するグリップのこと、動体視力の鍛え方、フォームにおける腰の入れ方、日常生活におけるトレーニングの方法、スポーツと精神力について、試合の駆け引きに至るまで、実に多くのことを、この師匠から教わりました。
そして私は師匠のアドバイスを忠実に実行し、西宮市内大会で準優勝したのです。
屈辱の一回戦負けから、ちょうど一年後のことでした。
・・・・・
閑話休題。
ドラマだったら、ここで「めでたし、めでたし」で終わるンですけど(笑)。
人生はドラマではないですからねー。まだまだ続きます。
では、後半へ続く・・・・。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
・・・・・
市内大会で準優勝したからって、客観的に見ると、実はたいしたことないンです。
その上には、阪神大会、県大会があり、さらに近畿大会、全国大会があるのですから。
私のライバルは阪神大会で上位に入り、県大会にも出場していました。
私はというと、その後伸び悩んでおりました。トレーニングとやる気は人一倍あったのですが、練習が実戦的でなかったのです。「努力と根性」だけではいけません。試合で勝つためのきちんとした戦略が必要だったのです。
私は阪神大会の2、3回戦でいつも負けていました。県大会には出場できず、インターハイをはじめとする全国大会には全く縁がなかったのです。「才能がないのだろう」とあきらめかけていました。それでもあきらめきれずに練習を続けていました。
一年間浪人をして大学に入学しました。大学で思い切り卓球がやりたいという想いがずっと私の支えでした。
想いは叶うものなンですね。長く暗かった下積み時代を経て、私の卓球はようやく開花します。
技術的にカットのフットワーク(足のさばき方)を覚えたのです。
これにより最適な打球点まで効率良く動くことができ、守備範囲そのものも広がりました。
高校時代に鍛えていた下半身があったからこそ短期間で上達することが出来ました。
師匠の言っていたことは正しかったのです。
大学時代は東海リーグというリーグ戦があり、私の大学も参加していました。
強豪が集う団体戦ですから、是非ここで勝ちたいと私は思いました。
とにかく動き回り、相手のボールを拾いまくる体力任せの卓球だったのですが、運良く勝つことができました。
勝った相手の中には元インターハイ選手もいました。とても自信がつきました。
高校時代の実績だけからすると、あり得ない事でしたから。
この経験で私が学んだのは、
「何事もやってみないと分からない」
ということです。
インターハイ選手とは県でトップクラスの選手です。一方私は県大会にも出場できず、その予選である阪神大会の2,3回戦止まりの選手です。高校時代の私を知っている人は、言っても信じてもらえないのではないかと思います。
「私には才能が無いから」
「教えてくれる指導者もいないし、練習環境もないから」
「もう学生時代のように練習できないから」
「仕事が忙しくて時間がないから」
「もう年齢(トシ)だから」
できない理由を並べて、あきらめてしまう人って、結構多いですよね。
でも、本当にそうなのだろうか?って私は思います。
私みたいな例もあるし、意外に「やってみないと分からない」かも知れませんよ。
もしあなたが指導者で、指導している選手が「才能がない」って落ち込んでいたら、是非このサイトを紹介してあげてください。そして「こんな例もあるから、あきらめないでやってみたら?」と励ましてあげてください。
大学を卒業し社会人になり、卓球をする機会は減りました。
しかし、2つ目の会社に卓球同好会があり、ここでの経験が非常に貴重な財産になりました。
トップページに書いた通り、周りはみんな初心者か初級者でした。
多いときで20名くらいになりましたが、本当に一人一人個性があるのです。
「どんなときに、その人は卓球を面白いと感じるのか」
「その人が、どの様に卓球が上手になっていくのか」
「上手になるのを手助けするには、こちらがどうしてあげたらいいのか」
「その人の性格と卓球が、どう関係するのか」
「その人の苦手は得意の裏返しであること」
「その人が苦手を克服するためには、こちらがどうすれば効果的なのか」
などを、楽しみながら研究することが出来たのです。
詳しい内容は、メルマガやコラムで紹介していきますね。
私が行ったのは「指導」ではありません。その人がもっと卓球を楽しむための「アシスト」です。
充分楽しんで満足している人には、あえて何も言いませんでした。
「ここをこうすると、もっと楽しくなるよ」みたいなことを適切なタイミングで言うのです。
後はその人が自分で工夫していました。
当時の私は、今流行の「コーチング」みたいなことをしていたのだと思います。
とにかく学生時代までの「競技としての卓球」、そして会社の卓球同好会の「コーチングする側から卓球」を2つ経験できたのです。
私は、これら自分の経験を情報として発信したいと考えました。
そして、メルマガ作家として、メルマガを配信しようと思い立ったのです。
長々と書き連ねてしまいました。
ここまで、読んでくださった方、本当にありがとうございました。<(_ _)>
きっと私のキャラクタがよく分かって頂けたと思います。
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